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ロハス DE kaiza * 海坐


沖縄の玉城でロハスなくらしを目指しています。日々の暮らしと宿 kaiza海坐のことを紹介します。 ご予約・お問い合わせは E-mail:info@kaiza-okinawa.com
by pajamsara
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旅の備忘機

妻のご先祖に鳥取・宇部神社の神官の家系 伊福部家に嫁いだ方がいました。

子供が生まれ3番目の男の子に昭と名前を授けました。

その人が映画ゴジラのテーマ曲で有名な故伊福部昭さんです。

以下、ホームページ「伊福部昭とは」より引用


1914531日北海道釧路幣舞町にて父利三、母キワの三男として生まれる。

伊福部家は大己貴命=大国主を宗祖する因幡の古代豪族であり、武内宿禰を祭る、因幡國一の宮・宇倍神社の神官を明治維新に至るまで代々務めてきた。伊福部家は昭の代で67代続く家系である。

宇部神社は明治32年、神社としては日本で最初に五円紙幣の図柄として取り上げられている。

1923年夏、9歳の時、父利三が官選村長として音更村村長に就任(任期は312年に及んだ)したのを機に家族と共に音更に移り、音更尋常小学校4年に編入した。

音更ではアイヌと親しく交流するようになり、この時接したアイヌの歌や踊りをはじめとする伝承芸能、各地から集まる開拓者が歌う様々な民謡により自身の音楽の原体験を得、特にアイヌの叙事音楽「シノッチャ」からは生涯忘れえない深い感銘を受け、同時にその後の作曲家としての人生に決定的影響を与えたという。


伊福部昭記念館は陶芸家でもある

長女の玲さんが、館長として運営されています。

531日に伊福部昭生誕111年記念コンサートが間近な多忙なときに時間を割いて頂きお話を伺いました。

伊福部昭さんが愛した調度品、ピアノ、リュート、手書きの楽譜等に囲まれ、交響曲を聴きながらお話をするという大変贅沢な時間を過ごさせて頂きました。

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以下は、今回同行出来なかった妻の叔母に宛てた手紙の一部

長女の伊福部玲さんによると、祖父の利三さんはアイヌの人達から土地を騙されて取られた等、あれこれ相談を持ち込まれていたと後年、父親から聞かされていたそうです。

その際、お礼の代わりにと手ぬぐいに一掴みの小豆やらの雑穀で雑用を引き受けていたとの事です。

そんな人柄が後々澤吉さんとの出会いにも影響したのではないでしょうか。

これも玲さんからの話ですが、この当時の警察署長(利三さんは釧路警察署長)は明治2年に蝦夷地から北海道に改称されたばかりで、地域の犯罪への対処ばかりでなく、ソ連からの脅威からも守るという重要な役割を担っていて、本州から優秀な人材が送り込まれていたらしいです。

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玲さんは祖父利三さんとキワさんの馴れ初めはご存じなかったけれど、

その当時の時代背景から考えて、恋愛では無く、親同士、知り合いからの勧めや、利三さんと澤吉さんが同じく道内で警察署長で親交があった故と考えるのが普通であろうと思います。

玲さんにはこの話と一緒にキワさんの幼少の頃の写真をお渡ししておきました。


伊福部昭著「北の譜」によると利三さんは石川啄木とも親交があったようで、澤吉さんが横山大観の画を贈られたのも、当時幅広い交流があったからでしょう。

宇部神社の神官として1000年以上も続く家系に生まれ、65代で新職を退官した後も家学として、神や種々な学問を教わり育ち、後に自分は生粋の神道の徒と述べています。

その後の音更でのアイヌ文化との交流が数々の名曲を作る源流となったのでしょう。

そんな事を考えるとキワさんも大変な人生であり、キワさんの存在無くしては伊福部昭さんの成功も無かったはず。

北の譜①3つの誕生日には、1番大事にしまっていたものに、兄弟の中でわたしの臍の尾だけがしまってあったとありました。

ここにキワさんと家族の写真がありましたので送ります。

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玲さんとお別れの後、宇部神社にも参拝と墓所参りへ行ってきました。

1番手前にあったのが伊福部昭さんのお墓。

神道らしく手向けてあるのはお花では無く榊でした。


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そして、お好きであったウイスキーのボトルと玲さんが作ったニワトリであろう鳥の陶器がお供えされてました。

墓参りの度に拵え持って行くそうで

す。

ご本人曰く、飛んで行って無くなってたので、また持っていくのよとの事です。

隣にある利三さんとキワさんのお墓にもご挨拶をして来ました。

ここにも玲さんの陶器がありました。

記念館でお別れの際に、どんなお父さんだったのですかと玲さんに尋ねると、仕事面ではとても厳しかったけど、私生活ではとても優しい父だったと言われました。

神道の血を引継ぎ、アイヌに縄文の文化をも愛す玲さんの、

父親への愛情を感じながら鳥取をあとにしました。

お陰さまで楽しい充実した旅をする事が出来ました。

いろいろお尋ねして、遠い過去の記憶を思い出すのは大変だったと思います。

感謝申し上げます。

拙い文章ですが一緒に同行したと思って一読頂けたら幸いです。



続く



by pajamsara | 2025-05-27 13:50 | | Comments(0)
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