以前から気になっていた港川フィッシャー遺跡に行ってきました。 遠くの方に、もうおひと方、見学者がおりました。 地元の事ならなんでも知ってる玉城焼の稲福哲雄さんです。 せっかくなので、地元をよく知る人にここは案内をお願いして、ふたりで見て回ることにしました。 ここ港川は粟石の産地として有名な場所です。 粟石は色、形、質感が粟おこしに似てるとこからそう呼ばれ、石垣や豚小屋など幅広く建築資材として使われてきました。 海にすむ有孔虫の殻、石灰岩・貝殻などの欠片が固まってできた石灰砂岩です。 当時は当たり前だった石材も、今は入手困難でマニアの間では高値で取引されていると聞きました。 石切が一つの産業になると、本島、離島から多くの人が港川・長毛地域に移住してきたそうです。 稲福さんによると、この周辺の住人の方の名前は玉城辺りに住む人と異なる姓が多く、やはり多くの方が ここに移り住んだのでしょう。 稲福さんが通っていた昔の玉城小学校の校舎にも粟石がふんだんに使われていたそうです。 岩の割れ目を意味を持つ港川フィッシャー遺跡は、1968年に那覇市在住の大山盛保氏によって発見されました。 大山氏は自宅庭園を造るために購入した粟石の中に、イノシシの化石が混在しているのに気づきました。 もしかしたら、人間の化石も見つかるのではないかと自費で発掘をおこない、1970年ついに人骨化石を発見しました。 発見された人骨は「港川人」と名付けられ、形態的特長や年代測定の結果、約1万8千年前のものと推定されました。 その後の更なる調査で、2万2千年前のものと改められ、日本列島本土では確認されていない 旧石器時代の男性1人、女性3人全身骨格であることが判明しました。 その後長い間、縄文人の先祖にあたるか否かの論争が続いてきましたが、 昨年、港川人がDNA分析の結果、 遺伝的に縄文人や現代日本人の直接の祖先ではないことがわかりました。 施設の端の方に布袋様に似たものがありました。 検索すると、以前は岩の割れ目の所に祭っていたことが分かる画像がありました。 太古の祖先に無礼の無いよう、敬い祭って、発掘をしていたのでしょうね。 観光客の方が多く訪れるガンガラーの谷、サキタリ洞内では2万年前の人骨と貝の道具が発見されています。 雄樋川周辺で出土された化石からイノシシの他にリュウキョウジカやリュウキュウキョン、カモシカが生息していたことも分かっています。 現在は港川フィッシャー遺跡を囲むように住宅が立ち並び、すぐ先には海で、果たしてここに港川人が住んでいたのかと思いますが、 氷河期の時代には海抜がいまより120メートルも下がっていたので、地形も今と大きく異なり、大型の動物がいたことも頷けます。 そうすれば、港川人が十分生活できる環境だったのだなぁと思います。 そんな風景を想像しながら太古の昔に思いを馳せ、ロマン溢れるこの地を、探索、観光されてみてはいかがでしょうか。 ************************************** シンプルだけど贅沢な時間 海坐 ~kaiza~ 〒901-0604 沖縄県南城市玉城字玉城56-1 tel&fax 098-949-7755 携帯 090-2849-1881 https://kaiza-okinawa.com 担当 中野 ***************************************
by pajamsara
| 2022-05-18 18:03
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